希望の持てる教育制度 横浜村塾

松下村塾の令和版、横浜村塾と命名しました 令和の時代に、大きな志を持って、 良き横浜、良き日本、良き世界、良き地球を 創りたいものです

2013年07月

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後藤静香 権威 
その59
 
富嶽
 
霞のベールに乙女のような
はにかみをふくむ春の富士
澄みきった青空に、正装したる
古武士の如き気品を映す秋の富士
群がる岩雲を脚下にふんで
戦士のように力あふるる夏の富士
輝く百衣に神仙のような厳かさを含む
冬の富士
わたしはなんじの神韻に酔う
 
 
 
 
         
後藤静香氏の名言 
 
今後の世代に是非残しておきたいものです。
ある時、図書館で「後藤静香 著作「権威」」を検索してもらうと、
何と古い書庫に入っているとのこと、
さっそく出していただきました。
 
21世紀にも残しておきたい名著、
良いものは眠らせてはなりませんね。  
 
今回の「富嶽」は、わたしはなんじの神韻に酔う、
静香氏の心意気は何とも素敵です。
 
四季ある日本に感謝、人を愛し、感謝の心で、
復興に取組みましょう。!!!
 
後藤静香さん、ありがとうございます。!!!
 
後藤静香 著作「権威」より
私の大好きな言葉ということで、紹介致します。
特に大震災後は、身に沁みます。
心から感謝です。

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ものづくり日本の生き残る道、
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今日の一社は、

谷口和紙株式会社

代表取締役社長
谷口 博文

伝統とともに「現代に活きる和紙」

鳥取県鳥取市青谷町河原358-1
1977年(昭和52年)設立
Tel 0857-86-0116
 
和紙の持つ普遍性を追求し続け、「立体漉(す)き和紙」の開発・製品化に成功。有名デザイナーとの共演で日本の伝統技術を世界に発信。

常識を越え、新たな時代の和紙へ

約千年の歴史をもつ因州和紙は、近年、国内需要の減少、安価な海外製品との競合等により厳しい状況にある。同社は和紙づくりの伝統を大切にしながらも、和紙の素材に着目した吸放湿性の機能をもつ壁紙や、キトサン・光触媒を漉き込んだ抗菌壁紙、また、抗菌性があって印刷適性も高いプリンター用紙等「現代に活きる和紙」の開発に取り組んでいる。

立体漉き和紙の開発・製品化

同社は、約20年前に立体漉き和紙の研究に着手し、以来、半球形和紙、球形和紙、更には自由な曲面などに和紙を漉き上げる技術を確立してきた。この立体漉き和紙を照明器具のシェード(カバー)に使うと独特の温もりのある明かりになる。国際的工業デザイナーとのコラボレーションによる照明器具は、国際的なインテリア展でも日本の伝統和紙の新しい形として注目され、既に、製品としてヨーロッパにも輸出されている。

伝統技術を世界に発信

同社は、従来の伝統的な和紙も提供しながら、日常の中でも個性や文化を感じることのできる生活を人々に提案するため、現代和紙を用いたインテリア用品、印刷用紙、文房具やテーブルウエアなどの開発を手掛け、「現代に活きる和紙」を世界に発信している。

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日本に生まれて本当に良かった、
四季のある日本、
このコーナーはネット寺子屋、
菜根譚、
人よく菜根を咬みえば即ち百事をなすべし、
このブログは経営ブログ、
経営の根幹が分る菜根譚、
ただ、のらりくらりと日を過ごし、
少しもやる気のない者は、
一生涯進歩がない。
                 洪自誠の心意気、
何とも素晴らしいです。
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今日の出会いは、
「やる気のない者は進歩しない」です。
菜根譚 その11
菜根譚は、明代の万歴年間(1573-1620)に、
洪応明(字は自誠)によって書かれたものとされる。
儒教と仏教と道教の三つの教えを融合し、
滲そのうえにたって処世の道を説く、
すぐれた人生の書です。
泛駕(ほうが)の馬も、
駆馳に就くべく、
躍冶(やくや)の金も、
終に型範に帰す。
只だ一に優游(ゆうゆう)して振るわざるもの、
便(すなわ)ち修身個の進歩なし。

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今日の一社は、

株式会社松井ニット技研

代表取締役
松井 智司

海外の有名美術館が認めたニットマフラー

群馬県桐生市本町4-85
1975年(昭和50年)設立
TEL 0277-44-3518
 
「MADE IN JAPAN」を強く打ち出し、色と柄にこだわったマルチカラーストライプシマスカーフは、ニューヨーク近代美術館(MoMA)・ミュージアムショップで売上数量No.1。

MoMA・ミュージアムショップで2001年から連続で売上数量No.1

同社は、繊維産地桐生で1907(明治40)年に創業した老舗のマフラー・ショールの専門メーカーで、他社では生産不可能な技術的に難易度の高い製品作りが得意。同社が編み上げるマルチカラーストライプシマスカーフは、チューブがつながったように見える独特なリブ編みと、カラフルで上品な色づかいが特徴。MoMAショップのバイヤーの目に留まり、1999(平成11)年にMoMAブランドでのOEM提供が始まり、2001(平成13)年から連続で売上数量第一位となっている。またイッセイミヤケなどのブランドのマフラーも手掛けている。

世界で唯一生産可能なアクリルミンキー加工スカーフ

同社は一般に市販されていない特殊アクリル糸を使い時間と温度を調整しながら染色及び特殊工程を構築し、さらに特別にあつらえた柔軟剤及び帯電防止剤を使い、ミンクのような風合いの世界に類のない柔らかいマフラーを開発した。

色と柄にこだわり伝統と歴史に培われた高度な職人技

アート性があって機能性があり、誰でも身につけたくなる同社のマフラーやスカーフは、多くの芸術作品を参考にしながら、トレンドカラーを加味した豊かな色使いで、長い伝統と歴史に培われた高度な職人技に支えられている。

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日本に生まれて本当に良かった、
四季のある日本、
このコーナーはネット寺子屋、
日野原重明先生、
100歳を越えても今だ現役、
バレエとオペラを生涯愛した女性、
愛するもの、生命力、
生きるという力、
なんとも素晴らしいですね。
日野原先生の心意気、
何とも素晴らしいです。
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今日の出会いは、
「バレエとオペラを生涯愛し続ける」です。
日野原重明先生 その80
死が迫る中でもバレエやオペラを楽しまれた女性

 今回は、私が聖路加国際病院の緩和ケア病棟(PCU)で見送った、ある女性について感じたことを述べてみよう。
 ご主人を10年前に咽頭がんで亡くされ、また父上も70歳の時に胃がんで亡くされたというA子さん(70歳)は、これまでオペラやバレエを愛し、その舞台を鑑賞することを何よりも楽しみにしておられた。
 ところが、A子さんも2012年8月頃から、十二指腸がんによる消化管狭窄のため食物摂取時に疼痛を覚えるようになった。鎮痛薬ロキソニンにて症状が緩和されたが、腸管からの出血で貧血が進行し、いったん別の病院に入院し、2回にわたる輸血を受けて症状が寛解し、その後自宅で独り療養生活に入られた。この方は、元来、バレエとオペラが非常に好きであったため、療養中も外出して公演を見た後にはとても元気になったとのことだった。
 ところが、何日か後、ふらつきが強く、季肋部(きろくぶ、上腹部で肋骨の下の辺り)の激しい痛みが起こったため、当院のPCUに緊急入院してこられた。
 体重46.5kg、右季肋下にこぶし大の腫瘤を触れた。ステロイド剤のリンデロン2mgを注射したところ、ふらつきが減じた。しかし、ヘモグロビンが6gに低下していたため輸血を繰り返し、同時に放射線照射がなされた。
 ようやく痛みが軽減したので、彼女が再びバレエを見に行ったところ、症状がとても緩和したという。これには公演を見に行ったことがまるでステロイド剤を注射したような効果を発揮したに違いないと私は考えている。
 彼女はPCUに入院後も2回、3回とオペラ鑑賞を果たしたが、いつもその前日から症状の緩和がみられた。
 私は回診後にナースに頼んで、私がA子さんの肩を抱いたポーズで写真を撮ってもらうことにした。ナースの「はい、チーズ」という声に合わせてケータイで写真がとられ、翌日、A子さんは私と一緒に写ったその写真を見てとても喜ばれた。その時以来、その写真がベッドの枕元に飾られた。
 彼女が4度目のバレエ公演を見に行く予定の前々日から高熱がつづき、下部腸管のイレウス(腸閉塞)症状が現れたので、彼女は最後のバレエ鑑賞は断念せざるを得なかった。
 腹部への疼痛緩和のモルヒネ注射も行われたが、彼女の意識は次第に混濁し、体の右側を下にして横たわったまま、血圧は低下した。おそらく彼女は最後のバレエの夢を見つつ死を迎えたものと思う。
 オペラやバレエ鑑賞を趣味として生涯の最後を送った彼女の、死を怖れないパッションの力の大なることを、私は彼女から学んだのであった。
 私自身の生涯の終わりは、できれば私が若い頃から愛し、自分でも合唱団を指揮したことのあるフォーレ作曲のレクイエム(鎮魂曲)の中の、天国の門が開かれるシーンでこの世を去ることができればと、このオペラとバレエを生涯愛したA子さんの最期を見送りつつ感じたのであった。

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