横浜村塾 by 愛の情報参謀

松下村塾の令和版、横浜村塾と命名しました 令和の時代に、大きな志を持って、 良き横浜、良き日本、良き世界、良き地球を 創りたいものです

2010年11月

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前回登場した、里 みちこさん、何しろ下記の経歴からもユクークさと独特の価値観を持った
方で、今回は「善と悪」をご紹介致します。
 
知識教育の詰め込みで、読解力も、判断力も弱くなっている日本、警鐘を鳴らしてくれます。
 
彼女はまさしく平成の「女、吉田松陰」、・・・そんな感じがピッタリです。

45歳で花園大学に社会人入学、58歳から島根県奥出雲の小学校3年生に編入。
 
阪神大震災の被災者に詩を読み語るボランティアから「詩語り」という言葉を生み出す。 
大阪城公園での早朝の「詩語り」は今も。
朝日新聞に、2001年から詩入りエッセイ「感字在菩薩」、03年から「自 遊自在」を連載。
 詩集『さながら』、『かけはし』、『玉繭』を発行。
現在、亡き母の口ぐせを冠した「もったいない展」で全国巡回中
「吟遊詩人」ともいわれる。

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前回登場した、里 みちこさん、何しろ下記の経歴からもユクークさと独特の価値観を持った
方で、今回は「相対性理論」をご紹介致します。
 
知識教育の詰め込みで、読解力も、判断力も弱くなっている日本、警鐘を鳴らしてくれます。
 
彼女はまさしく平成の「女、吉田松陰」、・・・そんな感じがピッタリです。

45歳で花園大学に社会人入学、58歳から島根県奥出雲の小学校3年生に編入。
 
阪神大震災の被災者に詩を読み語るボランティアから「詩語り」という言葉を生み出す。 
大阪城公園での早朝の「詩語り」は今も。
朝日新聞に、2001年から詩入りエッセイ「感字在菩薩」、03年から「自 遊自在」を連載。
 詩集『さながら』、『かけはし』、『玉繭』を発行。
現在、亡き母の口ぐせを冠した「もったいない展」で全国巡回中
「吟遊詩人」ともいわれる。

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幕末から明治にかけて、欧米が日本を植民地化出来なかったものに、日本人独自の素晴らしさと共に
寺子屋を基本とした素晴らしい教育制度があったのです。
 
しかし、最近の日本は、不平・不満・不信が一杯となり、教育改革が一番ではないかと感じていますが、
そう簡単ではない。そこで、江戸時代に遡り、寺子屋制度の復活を考えました。
 
丁度団塊の世代を中心とした人々が、現役を引退し、企業でも仕事の継承が重要であり、ものづくり日本
の技術の継承のためにも「寺子屋教育の復活」を提案します。
 
  <寺子屋教育の復活>その7
 
  <獄中の俳句会>
 松陰の発案で、野山獄のなかに「俳句会」が設けられ、手始めに吉村と河野が自分たちが俳句を作り始めた動機について話した。二人とも獄に入ってから俳句を始めた。だから決して巧くはないが、今はこの不自由な獄内で、十七文字に自分を表すことが生き甲斐になっている。そんな話だった。

 話を聞いていると、自分たちも作れそうな気がしてくる。そこをすかさず松陰は「われわれも俳句をつくろうではありませんか。そしてお互いに発表しあいましょう。俳句を作って、暗い牢獄生活を少しでも明るくしましょう」と水を向けた。松陰に乗せられて、「おれもやってみようかな」という気持が囚人達のなかに広がった。そして始めて見ると、これが案外面白かった。こうして俳句の会は次第に盛会になって行った。

 牢獄の最高責任者は福川犀之助という武士だったが、彼は松陰に好意を持っていた。松陰が入牢してから牢の雰囲気がかわった。囚人の暗く不機嫌な表情がよくなり、同時に獄卒とのいざこざも少なくなった。獄卒も表情がおだやかになり、やがて句会に参加するようになる。後に松陰は孟子を講ずることになるのだが、その時は福川自身が聴講した。そればかりではない。彼はこの年下の囚人を、やがてわが師と呼ぶようになる。松陰はこのように周囲の人間を感化する不思議な魅力を持っていた。

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今日のネットでの素敵な出会い、それは、「霞む連山」です。
 
富士五合目で撮った写真です。
 
曇りで景色はいまいちでしたが河口湖方面では、霞みがか
かった状態で幻想的に見えたので撮影しました。

「自分の行き着く所まで行け」 
柳井 正氏が語る仕事力―1
http://www.asakyu.com/column/img.asp?id=36
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動く、実行する。すべてはそこから
 
覚悟を決めさせてくれた家業
 

 できたら仕事をせずに生活できる方法はないか。大学生くらいまではそれが私のテーマでした(笑い)。当時はモラトリアム世代と呼んでいましたが、現在のフリーターの人の気持ちもよく分かりますよ。大学を卒業して就職先も親父の紹介。そこを9カ月で辞めて故郷に帰ってきたら家業の洋品店を任せると言われてしまう。接客は苦手だし、洋品店に興味もなかったけれど、ずっとブラブラし続けてきた息子としては、もう逃げられないと覚悟するしかなかった。

 洋品店は商店街の中で繁盛していましたが、それは一軒の家業です。私は店を増やし広げていく企業をやりたかった。商店街はいずれだめになると考えていましたから、借金をしてでも企業として伸ばしたかった。

 人はどこかで、仕事を選ばなければならないと思う。好きな仕事、できる仕事を求めて転職を繰り返していたら、本当の自分の力にたどり着かない。土俵を変えてはいけないと思います。あなたが大学生なら、会社を選ぶ前に自分の職業を決めて就職してほしい。どうしても好きな仕事がないなどとぜいたくを言ってはいけない(笑い)。これにする、とまず決めて覚悟することが大事なのです。やっていくうちに必ず興味がわいてくる、力が付いてくる。広く浅く、いくつもの仕事をつまみ食いしていたら5年、10年過ぎても、実は何も身に着いていないということになるでしょう。直線で、とにかくひとつの職業で努力する。自分の能力の限界を試すつもりで。

 
勉強するのはなぜか実践するためだ
 

 営業や仕事について、若い人はよく勉強していると思います。すごく詳しくて、頭のいい評論家のようなタイプがとても多い。しかし彼らはそれを実践しないから、単なる知識に過ぎない。それなら勉強などいくら時間を費やしても意味はありません。

 仕事というのは、動くこと、進むこと、やってみることの連続なのです。本を読んだり、セミナーに出たりして、自分の頭の中で納得しても現実は何ひとつ変わらないし、動きません。学んだら、それを生かせる機会を考え続け、いつどのように実践するか真剣にならなくてはいけないと思う。

 あなたが仕事に目標や課題を持っていなければ、真剣にはなれない。答えを探していないから発見がない。いくらいい本を読んでも、自分とは関係のないこととして通り過ぎていきます。

 私が、何かひとつ人と違っているとしたら、「課題を真剣に考え、いいと思ったら実践する」ということだけですね。実践すると山ほど失敗しますが(笑い)。それでも痛い思いをするからこそ、私はそこから学ぶことができる。次に打つ手はもっと研ぎ澄ましていくことができる。

 でも思い違いをしてはいけない。手当たり次第に実践だけするのは無駄なことです。先に課題ありき。そのために何が必要か、それが発見できたら動く。そうやって成長し続けていかなくてはならない。課題も大きくしていかなくてはなりません。

 

やない・ただし ●(株)ファーストリテイリング代表取締役会長兼CEO。1949年山口県宇部市生まれ。早稲田大学政経学部経済学科卒。72年、父親の経営する小郡商事に入社。84年カジュアルウエアの小売店「ユニクロ」の第1号店を広島市に出店。91年、社名をファーストリテイリングに変更。98年の原宿店進出と共にフリースの大ブームを起こし、99年には東証一部上場。2002年11月、代表取締役会長兼CEOに就任。

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