fuufu
四季のある日本、
日本に生まれて感謝です。
世界中で最も多く読まれている本、
そのベスト10に入る、
その題名は「夜と霧」、
フランクル氏との出会い、
何とも素晴らしいです。
強制収容所の劣悪な環境で生き延びたフランクル氏、
社会のために何をするか、
自分がやらなければならないこと、
きっとあるはず、
人は無限の可能性を秘めているのです。
フランクル氏の体験、
どんなことが起こっても、
けっしてくじけない、
死の瞬間まで周りを思い遣る心、
何とも素晴らしいですね。
どんな状況でも人をおもいやる。
親を、妻を、子供を失い、
それでも憎悪の気持ちを述べるのでもなく、
ロゴセラピーでは、
前向きに人生を歩む、
落ち込むのも人生、
羽ばたくのも人生、
人は誰も落ち込むことがある。
人生をあきらめたり、
やりきれなくなることもある。
しかし、それが人生、
貴方の無限の可能性を誰かが期待している。
しかし、やはり原点に返って、
大志を持って生きたいものですね。
人はそれぞれ世に役立つ何かを持っている。
その可能性は無限、
さすがにロゴセラピーの最高峰、
人生は素晴らしいものです。
出会ったことに感謝です。
この素敵な運命を信じて生きる。
生きていることに感謝、
周りに感謝して生きる。
どんな時でも決してあきらめない、
希望を持って生きる。
人して生命を受けて生きている、
そして、誰でも世の中に必要とされている何かがある。
だからこそ、それを見つける旅、
人生、
一日一日と大切に、
感謝して生きる。
まさしくですね。
フランクル氏の心意気、
何とも素敵なんです。

フランクル氏だからこそ、
 
強い意志、やさしい思い、
フランクル氏の心意気、
何とも素晴らしいですね。
ありがとうございます。
 
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今日の出会いは、
「どんな時にも利他の心で、人生を生きる」です。   
フランクル その422


  ある男性の場合


私がお話しするのは、まだ若かったある男性のことです。彼は、活動的でやりがいのある職業生活を送っている最中でした。多忙な広告デザイナーだったのです。ところが、その職業生活を突然中断せざるをえなくなりました。悪性で手術もできない重篤の脊髄腫瘍をわずらったのです。この腫瘍のせいで、すぐに手足が麻痺状態になりました。そこで、彼はもう、それまで主として自分の人生を意味のあるものにしてきた活動的な生活という方向を維持することができなくなりました。そこから閉め出されて、なにかほかの方向に向かうように迫られたのです。彼は、活動的な生活を送れないようになってくると、活動範囲がせばまった状況を生かして受け身の体験に没頭し、そのように制限された可能性の範囲内でもまだ生きる意味をどうにか手に入れようとするようになってきました。その患者さんはどうしたでしょうか。

 病院で横になっているとき、彼は猛烈に読書に取り組みました。以前余裕のない職業生活を送っていたときは読む時間がすこしもなかった書物を読みました。せっせとラジオで音楽をきき、他の患者さんのひとりひとりと活発に会話をかわしました。こうして、彼は、活動的な生活を離れ、受け身になって自己のうちに世界(とくに精神的な世界)を取り入れることによって、それでもなお人生を意味のあるものにし人生が出す問いに答えることができる生き方に引き下がったのです。これでおわかりでしょう。この勇気のある人は、その当時でもまだ、どれほど制限されていても自分の人生が無意味になったとはけっして思っていなかったのです。

ところが、それから病気が進行して、もう書物を手にすることもできなくなるときがきました。それほど筋力が衰えたのです。そのときには、もはやヘッドホーンの重みにも耐えられませんでした。ヘッドホーンをつけると、頭蓋骨の神経の苦痛がとてもひどくなったのです。


そのうえとうとう、話すことも困難になりました。他の患者の人と才気に満ちた会話をすることももうできなくなりました。こうして、この人は、またもや方向転換を迫られたのです。運命に命じられたのです。

けれども、いまでは、創造的な価値実現の世界だけではなく、体験によって価値を実現する世界からも去らなければならなかったのです。それが、病気に制約された彼の人生最後の日々の状況でした。けれども、そういう状況でもまだ、どうにか意味を手に入れることができたのです。まさに、そういう状況に対して彼がとった態度によって、意味を手に入れることができたのです。


その患者さんは、自分の命がもう長くないことを、それどころかあと数時間しかないことをまったく正確に知っていました。私はちょうどそのとき、その病院の当直医として、この男性の最後の午後の回診をしなければなりませんでした。

そのときのことをいまでもはっきりと覚えています。ベッドのそばを通りかかったとき、彼は合図して私を呼び寄せました。そして話すのに苦労しながらこう伝えました。午前の病院長の回診のときに聞いて知ったのだが、G教授が、死ぬ直前の苦痛を和らげるため、死ぬ数時間前に私にモルヒネを注射するように指示したんです。だから、今夜で私は「おしまい」だと思う、それで、いまのうちに、この回診の際に注射を済ましておいてください、そうすればあなたも宿直の看護婦に呼ばれてわざわざ私のために安眠を妨げられずにすむでしょうから、と。このようにして、この人は人生の最後の数時間でもまだ、まわりの人を「妨げ」ずにいたわろうと気を配っていたのです。


どんなつらさにもどんな苦痛にも耐えた勇気はともかくとして、こういうさりげない言葉、このようにまわりの人のことを思いやる気持ちを見てください。まぎれもなく死ぬ数時間前のことです。ここにすばらしい業績があります。職業上の業績ではないにしても、人間らしい無比の業績があります。私がいまから主張することもおわかりいただけると思います。この患者さんがいまでも現役で職業活動を送っていたら、もっとすばらしい広告デザインを発表することができたでしょう。けれども、どんなにすばらしい広告デザインも、世界中で一番立派で美しい広告デザインも、いまお話しした死ぬ数時間前のふるまいにあらわれている業績にはかなわなかったでしょう。それは、さりげないけれども、人間らしい業績なのです。

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